ビオナチュレの原点
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ビオナチュレの原点
フランス人と日本人、二人の恩師の運命的な出会い
ビオナチュレの原点、それはビオナチュレ代表の和田潔美が師事する二人の人物が出会ったことから始まります。
ヨーロッパの皮膚科学研究における最高権威者であるルイ・レイモン・ルノー博士と、長崎で被爆しその後遺症を自らの研究により克服した植物療法の第一人者である末富仁氏が運命的な出会いを果たしました。
それは奇跡ともいえる運命的な出会いだったのです。
日本人女性がどんどん老化していく・・・
「日本の美容」の遅れを取り戻すために
それは50年以上前のこと、末富氏は当時の日本人女性が化粧品により肌が傷み早く老化していく現実を目の当たりにし、イメージばかりが先行する粗悪な化粧品ではなく「いつまでも美しくありたい」と願う女性のための偽りのない“真の美容”を追求していました。日本の美容の遅れを親交のあったある国の王妃に相談したところ、ルノー博士を紹介してくださいました。当時ルノー博士は王妃や女優の肌の管理もされていたので、ある国の王妃は二人の共通の知人だったのです。
植物の力を健康に活かす植物療法の美容分野への応用
医学博士であると同時に理学博士でもあるルノー博士は女性の美しさを広い視野で研究され、さらに植物のもつ偉大なる力を応用した専門的な化粧品を数多く開発していました。末富氏は植物療法で原爆の後遺症を克服し植物の偉大なる力を人々の健康に活かすために植物療法の啓蒙・普及に努めていました。更に植物療法を美容の分野に取り入れた植物美容学を日本に広めていたのです。
フランス人と日本人、生まれた国は遠く離れていますが、ルノー博士と末富氏は同じ信念を持ち抱えている問題も同じでした。「いかに美しく」「いつまでも美しくあるために」という女性の願いを叶えるため日々研究をされていたのです。そして「美しさの基本は健康に裏付けられた肌の美しさにある」という根底にある考え方も同じでした。
フランスと日本の共同研究、そして1971年日本初の「エステティック理論」を発表
出会った瞬間、運命を感じた二人。末富氏はエステティック理論・植物療法・植物美容学・体質学などルノー博士から影響を受けフランスと日本で共同研究をされました。その後、末富氏は1971年に日本で初めてエステティック理論を発表し、美容のプロの育成と植物の力を駆使した数々の専門的な化粧品を開発したのです。
日本人は独特の肌をしている
ルノー博士が初めて日本人女性の肌を見た時、独特の肌をしていると同時に混合肌が多いことに驚かれ、その理由を末富氏に尋ねました。末富氏は日本の四季折々の気温や湿度など自然環境の変化や先祖代々お米を主食にしている食文化など広い視野から日本人の独特の肌質について説明されたのです。末富氏の豊富な知識と肌を表面的に捉えず肌質やトラブルを広い視野から究明する考え方にルノー博士は感銘を受け「日本、いやアジアの女性の美は君に任せた」と言われたそうです。
もう一つの運命的な出会い
30年以上前、ビオナチュレ代表の和田潔美は傷んだ肌の状態に悩んでいました。皮膚科やエステティックサロンに行っても解決せず繰り返し出てくる吹出物。良くなったように見えても原因を取り除いていないので、トラブルは繰り返されていました。
美しい肌を手に入れるため、巷に満ち溢れる美容情報を収集し高価な化粧品を試しますが酷くなる一方でした。そんな肌の悩みを抱えていた時、「女性を美しくする凄い先生がいる、肌を見ただけですべてを言い当ててしまう、どんなトラブルの肌も見事に改善してしまう」という夢のような噂を聞きました。その凄い先生というのが末富仁氏だったのです。
和田はすぐにお会いしたいと思いましたが、美容業界のプロを対象に教育をしているので一般の方はセミナーに参加できず、お会いすることができないという事でした。
ところが数か月後、運よく知人の紹介でセミナーに参加する事ができました。ここから運命が良い方向にどんどん動き出したのです。
これぞ本物!「目から鱗」の連続、巷の美容情報と本物の美容との違い
末富氏のセミナー会場では50人以上の美容のプロたちが熱心に勉強していました。末富氏はテーブルの間をゆっくり歩きながら話をされ、和田の横を数回通り過ぎましたが、ある時ピタリと足を止め衝撃的な一言を言われたのです。
「あなたはお金をかけて自分の肌を台無しにしたね」と和田の顔をじっと見ながら言ったのです。
50人以上の美容のプロたちは一斉に和田の顔を見ました。そして更に強い口調で「今日からオイルクレンジングをするのをやめなさい!」と言われました。確かに毎日オイルクレンジングを使っていた和田は「どうして私がオイルクレンジングをしているのがわかったのですか?」と聞くと「あなたの顔に書いてある」と言われました。
これが恩師である末富仁氏とビオナチュレ代表の和田潔美が最初にかわした言葉です。初めてお会いしたにもかかわらず何もかもお見通しという感じで、和田の性格や食生活まで見事に言い当ててしまったのです。
噂以上に凄い先生を目の前にし、鳥肌がたつのと同時に巷で氾濫する薄っぺらな美容情報と本物の美容との違いを和田は思い知るのでした。
偉大なる恩師の秘書兼アシスタントとなり全国を飛び回る日々
「自分の肌は自分で守る」、そう決めた和田は自分に正しい知識がなかったせいで大切な肌を傷めてしまった苦い経験から本物の美容の知識を得るため末富氏のもとで勉強しようと決めたのです。
当時、自他共に認める美容情報“通”だった和田の目から鱗をたくさん落とした末富氏は、丁度その頃アシスタントを探していました。タイミングに恵まれたうえ、様々な厳しい条件をクリアした和田は末富氏の秘書兼アシスタントとなり全国を飛び回る生活がスタートしたのです。
当時は植物療法や植物美容、アロマテラピーを教えるスクールがなかったので、勉強したいと希望するプロが末富氏のもとに殺到していました。そのため日本全国でセミナーを行い、多い日は4か所掛け持ちでセミナーを行うことさえありました。
こうして和田は毎日アシスタントとして末富氏のセミナーに同行し豊富な知識と技術を吸収することができたので、数年後には自身も講師として活躍していったのです。
植物療法を取り入れたサロンを開業、リピート率95%以上の驚異の実績
「理論なき実践は盲目なり、実践なき理論は空虚なり」と末富氏は美容のプロに向けて何度もこの言葉を言っていました。
勉強ばかりして頭でっかちなプロが多い、また技術は上手だが基盤となる理論がないプロが多い、こんなプロに出会ったお客様は悲劇だ、とも言われていました。
プロであるならば知識と理論に裏付けられた確固たる基盤があり、その基盤の上に経験によって培われていく技術がある、理論と実践の両方がなければ“真のプロ”とは言えない、という末富氏の教えにより和田は1998年に植物療法を取り入れたエステティックであるフィトエステティックサロンを開業しました。
ルノー博士と末富氏より受け継いだ教えを忠実に守り、植物療法と体質学を融合させた100%オーダーメイド施術を実現させた結果、お客様より絶大な支持を得てリピート率95%以上の人気サロンになりました。
こうして和田は二人の恩師から受け継いだ知識と理論をベースに経験を重ねていったのです。
サロンの運命を左右する化粧品
サロンで使用する化粧品はサロンの考え方やポリシーをあらわし“サロンの格”を決定づけてしまいます。そのためサロンにとって化粧品選びは運命を左右するほど重要な問題なのです。
ビオナチュレは二人の恩師、ルイ・レイモン・ルノー博士と末富氏の教えを忠実に守り厳しい目で植物化粧品を選んでいます。またビオナチュレ代表の和田潔美は末富氏のもとで植物化粧品の開発に携わり植物の働きや植物同士の相乗効果など貴重なノウハウを得ることができたので、これまでに培ってきた知識と経験を活かし商品開発にも力を注いでいます。
ビオナチュレの使命、それは偉大なる二人の恩師の教えを伝えていくこと
ビオナチュレの原点は50年以上前にルイ・レイモン・ルノー博士と末富仁氏が出会ったことから始まりました。本物を追求する美容のプロに脈々と受け継がれる“真の美容”という二人の恩師の教えを着実に守り伝えていくことがビオナチュレの使命であると確信しています。
流行を追いかける化粧品やブームを狙った美容法など数多くありますが、時代が変わっても守り伝えていかなければならないものもあります。
ビオナチュレは揺るぎないポリシーと正しい理論に裏付けられた基盤の上に進化を遂げていくことを約束し、全国の専門サロン様にご満足いただける各種セミナーと植物化粧品をとおしてサロン様の売上アップとご発展に尽力させていただく所存でございます。